大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋高等裁判所 昭和63年(ネ)398号 判決 1990年5月31日

控訴人(附帯被控訴人。以下「控訴人」という。)

ナトコペイント株式会社

右代表者代表取締役

粕谷忠晴

右訴訟代理人弁護士

山田靖典

齋藤勉

加藤茂

坂口良行

林克行

被控訴人(附帯控訴人。以下「被控訴人」という。)

大矢均

被控訴人(附帯控訴人。以下「被控訴人」という。)

渡辺真和

被控訴人(附帯控訴人。以下「被控訴人」という。)

細江辰也

被控訴人(附帯控訴人。以下「被控訴人」という。)

佐藤英機

被控訴人(附帯控訴人。以下「被控訴人」という。)

恒川周市

被控訴人(附帯控訴人。以下「被控訴人」という。)

加藤一美

右被控訴人ら訴訟代理人弁護士

杉浦豊

渥美玲子

水野幹男

渥美雅康

主文

一  本件各附帯控訴(当審における金員請求の拡張)に基づき、原判決主文二項を次のとおり変更する。

二  控訴人は、

1  被控訴人大矢均に対し、

(一)  金三一〇五万八三八二円及び別紙未払賃金一覧表(一)(略)の各月欄記載の各金員につき同欄支給日の項記載の日の翌日から支払済みまで年六分の割合による金員を、

(二)  平成二年一月以降毎月二八日限り、金四〇万九八二二円及びこれに対する毎月二九日から支払済みまで年六分の割合による金員を、

(三)  金一五七八万三五〇四円及び別紙未払一時金一覧表(一)の各季欄記載の各金員につき同欄支給日の項記載の日の翌日から支払済みまで年六分の割合による金員を、

2  被控訴人渡辺真和に対し、

(一)  金二三二五万四〇八三円及び別紙未払賃金一覧表(二)の各月欄記載の各金員につき同欄支給日の項記載の日の翌日から支払済みまで年六分の割合による金員を、

(二)  平成二年一月以降毎月二八日限り、金三〇万七八六九円及びこれに対する毎月二九日から支払済みまで年六分の割合による金員を、

(三)  金一〇二四万四八六七円及び別紙未払一時金一覧表(二)の各季欄記載の各金員につき同欄支給日の項記載の日の翌日から支払済まで年六分の割合による金員を、

3  被控訴人細江辰也に対し、

(一)  金一九七一万八二四九円及び別紙未払賃金一覧表(三)の各月欄記載の各金員につき同欄支給日の項記載の日の翌日から支払済みまで年六分の割合による金員を、

(二)  平成二年一月以降毎月二八日限り、金二六万〇三四一円及びこれに対する毎月二九日から支払済みまで年六分の割合による金員を、

(三)  金八六五万〇五九二円及び別紙未払一時金一覧表(三)の各季欄記載の各金員につき同欄支給日の項記載の日の翌日から支払済みまで年六分の割合による金員を、

4  被控訴人佐藤英機に対し、

(一)  金三〇三七万五四一一円及び別紙未払賃金一覧表(四)の各月欄記載の各金員につき同欄支給日の項記載の日の翌日から支払済みまで年六分の割合による金員を、

(二)  平成二年一月以降毎月二八日限り、金四〇万一〇二九円及びこれに対する毎月二九日から支払済みまで年六分の割合による金員を、

(三)  金一五六四万七六八一円及び別紙未払一時金一覧表(四)(略)の各季欄記載の各金員につき同欄支給日の項記載の日の翌日から支払済みまで年六分の割合による金員を、

5  被控訴人恒川周市に対し、

(一)  金一七五二万〇五五一円及び別紙未払賃金一覧表(五)(略)の各月欄記載の各金員につき同欄支給日の項記載の日の翌日から支払済みまで年六分の割合による金員を、

(二)  平成二年一月以降毎月二八日限り、金二三万九三〇一円及びこれに対する毎月二九日から支払済みまで年六分の割合による金員を、

(三)  金七八四万〇〇〇六円及び別紙未払一時金一覧表(五)の各季欄記載の各金員につき同欄支給日の項記載の日の翌日から支払済みまで年六分の割合による金員を、

6  被控訴人加藤一美に対し、

(一)  金一七八八万八一〇二円及び別紙未払一時金一覧表(六)の各月欄記載の各金員につき同欄支給日の項記載の日の翌日から支払済みまで年六分の割合による金員を、

(二)  平成二年一月以降毎月二八日限り、金二三万五四三〇円及びこれに対する毎月二九日から支払済みまで年六分の割合による金員を、

(三)  金七二五万八七三二円及び別紙未払一時金一覧表(六)の各季欄記載の各金員につき同欄支給日の項記載の日の翌日から支払済みまで年六分の割合による金員を、それぞれ支払え。

三  本件控訴を棄却する。

四  控訴費用及び附帯控訴費用は控訴人の負担とする。

五  この判決の主文第二項は、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の申立

一  控訴人

(控訴の趣旨)

1 原判決を取り消す。

2 当審における金員請求の拡張分を含め、被控訴人らの請求を棄却する。

3 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

(附帯控訴の趣旨に対する答弁)

1 本件各附帯控訴を棄却する。

2 附帯控訴費用は被控訴人らの負担とする。

二  被控訴人ら

(控訴の趣旨に対する答弁)

1 本件控訴を棄却する。

2 控訴費用は控訴人の負担とする。

(附帯控訴の趣旨)

1 主文第一、二項と同旨

2 附帯控訴費用は控訴人の負担とする。

第二当事者の主張

当事者の主張は、次に訂正、付加するほか、原判決事実摘示第二項記載のとおりであるから、これを引用する。(訂正等)

原判決A七枚目表四行目の「名古屋市合同支部(」の後に、「現在の名称は、全労連・全国一般労働組合愛知地方本部のあいち支部。」を加え、同七行目の「総評」を「全労連・」に改め、同八枚目裏八行目の「意思表示」の後に「(被控訴人大矢についてはナトコ商事が意思表示)」を加え、同九枚目表一行目の「大矢他五名」を「大矢外五名」に、同一四枚目裏四行目の「一万〇〇〇〇」を「一万一〇〇〇」に、同一五枚目表九行目の「二・三七×一五万〇〇〇〇」を「二・三七+一五万〇〇〇〇」に、同二五枚目裏四行目の「各季につき」を「昭和六二年まで」に、同三〇枚目表七行目の「勤労年数」を「勤続年数」に、同三二枚目裏一〇行目の「各年につき」を「昭和六二年まで」にそれぞれ改め、同三六枚目表八行目から同枚目裏二行目までを次のとおり改める。

「大矢均 三三万一〇五〇×二・四二四=八〇万二四六五円

渡辺真和 二五万二四〇〇×二・四二四=六一万一八一七円

細江辰也 二一万四八五〇×二・四二四=五二万〇七九六円

佐藤英機 三二万四二〇〇×二・四二四=七八万五八六〇円

恒川周市 一九万二四〇〇×二・四二四=四六万六三七七円

加藤一美 一九万九〇五〇×二・一四二=四二万六三六五円」

(控訴関係につき控訴人の付加した陳述)

一  本件配転の経緯、必要性等

本件配転の経緯及び本件配転の必要性とその目的に関する控訴人の主張は、原判決事実摘示第二項(以下、単に「事実摘示」という。)三3(一)、(二)記載のとおりであるが、なお以下の点を付加する。

1 昭和五六、五七年人事異動に至る経緯

控訴人は、昭和四八年秋の第一次石油ショック以降の低経済成長時代に適合した組織づくりはどうあるべきか、経営方針の在り方はどうあるべきかについて、何度となく幹部会において協議をしてきた。それまでは、経済の高度成長の波に乗って成長してきた控訴人も、今後の低成長時代の過当競争を勝ち抜くためには、その組織の改革が極めて重要な課題となっていた。

昭和五四年、第二次石油ショックが起こり、控訴人の業績は一時的に向上した。しかし、その向上は仮需の発生という一時的な要因によるものであり、それも落ち着けばもとに戻るものであった。根本的に控訴人の体質を強化し、業績向上に結び付ける長期的視野に立った組織作りが必要であった。

かかる要請のもとに行われたのが事実摘示三3(一)(3)(イ)の昭和五四年一一月における販売商品別組織作りの決定であり、この組織改革の方向は、その後の控訴人の業績を左右し、控訴人の経営の在り方を示す組織づくりの先鞭をつけるものであった。そして、右組織改革の課題が、昭和五六年春季、同年秋季、昭和五七年春季の各人事異動へと一層の根深い欲求をもって引き継がれていったものである。

2 昭和五六年春季の人事異動について

控訴人は、昭和五六年二月一六日の幹部会において、控訴人のじり貧的な売上低迷の打開策を検討し、懸案の商品別組織を確立する必要ありとの判断から、従来組織の変更と、それに伴う配転の実施を決定した。その基本的な考え方は、組織を商品別事業部制に擬した形態とするというものであり、(1)営業部については、課長以下の営業部員をそれぞれ車両用塗料、金属用塗料、木工建材用塗料及びシンナーの各担当別に区分すること、(2)技術部については、車両用塗料グループ、金属用塗料グループ、木工建材用塗料グループ及び技術サービスグループ(塗装等)を第一技術課に、解析グループ及び品質管理グループを第二技術課に、長期的商品開発を担当するグループを開発グループに区別することとした。そして、これらの組織変更及び配転を同年五月初旬をめどに行うということが決められた。

同年二月二一日の営業部内会議で、営業部員数については、とりあえず、車両担当一四名、金属担当一一名、木工建材担当一五名、シンナー担当三名の合計四三名が必要であるところ、当時の営業部員数はSE(セールスエンジニア)を含めて三〇名なので、一三名の増員が必要であるとの話し合いが行われた。また、この会議の中で、営業の再編強化をすべき部署として、東京営業所、名古屋営業所、大阪営業所、高松営業所、広島営業所、新潟営業所が指摘された。

同年三月一日の幹部会で、前記の営業部内会議の内容が報告され、早急に右会議で指摘された前記各部署に配置すべき営業適性のあると思われる者をリストアップすることになった。同時に、営業部長から、当時の営業部員の中に一、二名の退職希望者がいる旨の報告がされた。

同年三月一七日の幹部会において、SEを含む営業部員候補者として、被控訴人佐藤、同恒川、同細江、同渡辺、井上義輝、井浪弘幸、岡本政司、三品秀和、吉村史朗、横井清らの名前が挙げられた。さらに、営業部から、営業所長である千賀正介、国立秋男らを配転したいとの意向が出された。また、異動人数に関する社長の質問を受けて、各部課長から、技術部は一二名、営業部は必要人数が新たに補充されることを前提として、関連会社を含めて一八名、三好工場関係(技術部を除く)は一一名、合計四十数名になるが、人数の重複があるので、実数は三〇名位になるとの報告がされた。この席上控訴人は、今回の配転がそのまま実施されるとしたら、かなり大規模になるので、仕事上の影響が大いに予想されること、そのため、各部課長は慎重に事を進めて欲しいこと、必要であるならば、各部課長の判断で各異動対象者に意向打診をしてもよいことを指示した。

同年四月一日開かれた幹部会で、同年三月中に控訴人及び関連会社から五名の退職者があったとの報告がされた。このため、今回の配転については、一部手直しの必要があるとの意見が出され、次回の幹部会までに各人が右手直しのいかんについて検討するということになった。

同年四月一七日の幹部会で、更に新たに退職希望者が出てきたとの報告がされた。そのため、営業部員を商品担当別に区分することは難しいのではないかという意見が出された。そして、同幹部会で議論を重ねた結果、営業部員の車両、金属、木工用塗料の担当は決めること(ただし兼任も可)、シンナーの担当はつくらないこと、技術部の組織変更は実施すること、これに伴う配転の最終人選と任地決定を同年四月末までに行うことを決めた。

同年四月二一日、地本及び支部からナトコ労組の公然化通告が行われたため、同年五月六日の幹部会において、控訴人から、ナトコ労組が結成されたことでもあるので、今回の組織変更とそれに伴う配転は一時見合わせ、新入社員一一名の配属だけを行いたいとの提案がされ、その旨了解された。

以上が昭和五六年春季における配転の概要であり、基本的には、配転により再編強化すべき部署の検討・選別や配転候補者のリストアップもされ、具体的に右配転候補者に対し意向打診をした上で右の配転を実施しようとしていた矢先に、ナトコ労組の公然化通告を受けてその実施を見合わせたものである。換言すれば、昭和五六年春季の配転の概要は、右ナトコ労組の公然化通告前既に煮詰まっていたということができる。

二  本件配転の人選の合理性、必要性について

本件配転対象者たる控訴人らの個別的事情に関する控訴人の主張は、事実摘示3(三)記載のとおりであるが、なお、以下の点を付加する。

1 被控訴人大矢

(一) 配転の必要性

ナトコ商事は、控訴人の製品を卸売販売を業とする会社の一つであり、昭和六三年春にナトコホームペイント株式会社を合併したので、スプレー塗料も販売している。なお、ナトコ商事の事務所は、控訴人名古屋営業所と同一敷地内にある。

ナトコ商事の昭和五七年一月ないし四月の従業員は三田村徳太郎、日置隆信、毛利敏広、平松久和、横井清、井上義輝、新海寿人、近藤春美、山本益美の九名であった。三田村は、経理、総務関係の職歴が長く、昭和五六年九月に定年となった後も、嘱託という形で営業、総務、経理、庶務(株主総会の運営等)を統括する支配人の職務を行っていた。なお、同人の住居は、控訴人の三好工場から五分の所にあった。日置は、営業経験としては、ナトコホームペイント株式会社在社時のみで、業務用塗料の販売経験は十分ではなく、また、経理の経験もわずかであった。同人の職務は、いわば副支配人格で、営業最前線での活動が中心であった。毛利、平松は業務用塗料の営業社員であった。新海は旧ナトコホームペイント株式会社関係品のスプレー塗料のデリバリー、外注管理、営業担当であった。井上は、毛利、平松の二人と比較すると業務用塗料の製造体験は十分にあり、かつ、塗料の基本的知識を十分持っている営業社員であった。横井、山本は退職の意思表示が内々あった。近藤は女子事務員であった。

本件配転の最大の目的が営業強化にあることは既に述べたとおりであるが、控訴人の営業強化の一つの方策としてナトコ商事の営業強化は欠かせないものである。すなわち、同社の売上増大は控訴人の売上増大につながるからである。そのためにも、ナトコ商事について、最も有効かつ効果的な人員配置を考える必要性があると同時に、人事の活性化ということも当然配慮しなければならない事柄であった。

ナトコ商事の場合、井上義輝の新潟営業所への配転という優先人事があり、その後の営業戦力の補充は、前記日置、平松、毛利の努力に期待するとともに、欠員予定の補充は、清水隆を充てることとしたが、なお十分ではないと考えられていた。

一方、前記三田村をその定年退職後も嘱託という身分のまま支配人にとどめることは、人事の活性化という観点からみると好ましい現象ではないので、早急に後任の人選をする必要性があった。前述の同社社員の構成からいって、支配人として最適な人物は、前記日置と判断されたが、前述のとおり、同人は支配人としては経理、総務、庶務をこなす技能・知識、業務用塗料の販売商品知識が不足しているという問題があった。そのため、経理、総務、庶務に明るい人材を他の部署から補充し、右日置において業務用塗料の販売知識習得、特に、塗料販売店との接触機会の一層の増加に努力し、できる限り業務用塗料販売に時間をとることとして、経理、総務、庶務に明るい補佐役の協力補佐により支配人としての職務を果たすことがナトコ商事の営業強化になると判断された。

(二) 人選の合理性

右支配人の補佐役としては、総務、経理、庶務の知識と技能を有し、かつ、営業経験のある人材が必要である点などが考慮され、次の理由により、被控訴人大矢の外に適任者はいないと判断された。

一般に、経理、総務、庶務の知識のある人材は、控訴人においては総務課の実務者以外にはいない。また、支配人の補佐役を勤めるには、それなりの知識、経験、年齢が求められるので、総務課の三係長(電算の平野髙康、人事労務の被控訴人佐藤、経理の被控訴人大矢)から人選することとした。人事労務係長の被控訴人佐藤は、経理の知識は多少あるが、総務、庶務の知識はあまりなく、また、広島営業所長への配転予定者でもあったので、除外した。電算係長の平野は、被控訴人大矢と比較した場合、経理、総務、庶務の知識という面でも、営業経験という面でもナトコ商事の支配人の補佐役としては適任ではなく、また、電算に関する専門知識を有し控訴人のOA化の中心人物であり、他に転出させることは考えられなかった。これに対し、被控訴人大矢は、その職歴が示すとおり、経理知識も十分にあり、営業経験もある。特に、以前ナトコ商事に勤務していたという経験は、前記配転の目的を達成する上で非常に有利であった。加えて、被控訴人大矢は、自宅が名古屋市内にあり、右総務課のある三好工場に比べ、ナトコ商事への方が二〇分程度通勤時間が短くなる。さらに、被控訴人大矢の後任には、経理経験豊富な前記三田村が後輩育成のため勤務してくれることとなった。なお、右配転により、三田村の通勤時間も大幅に短縮されるものであった。以上のとおり、これらの人事異動は、被控訴人大矢、三田村、日置、ナトコ商事、控訴人の関係者全員にとり、最も理想的なものであるといえる。

2 被控訴人渡辺、同細江

(一) SEの配置について

SEの実質の人数(控訴人作成の職制表は、必ずしも実質が反映されていない部分がある。)は、昭和五四年三月の時点で五名、同年一一月の時点で四名、同五五年一一月の時点で七名であったが、控訴人としては、随時SEの充実強化を図ってきたものである。

すなわち、右昭和五四年一一月の時点において、営業部の販売課の要員をすべて車両、木工、建材、金属の四分野に分類して担当を決め、より細かい分野別の営業活動ができるようにした。そして、営業部の技術面を担当し、販売要員の営業技術面を指導する者として、梅沢をSEのリーダーとし、塗装関係の須崎、則武をその部下として配属した。したがって、この時点では、販売課全員が担当商品に対する専門的技術的な知識を習得し、SE的な職務ができるよう努力、勉強していたのであって、SEが不必要になるどころか、最重要な職務であり、早急に充実しなければならない分野でもあった。また、昭和五五年一一月の時点では、SEの担当分野を、従来の車両関係に木工関係を加え、二分野に拡大した。要員も、職業訓練大学校から採用した能美、技術課から配転した市場、前記塗装関係の則武の三名を新たに任命し、SEの充実を図った次第である。

このように、控訴人は、即応性のある営業強化の一つの強力な手段としてSEの充実を図ってきたのである。メーカーの営業担当者は、本来ならば全員がSEと同レベルの技術、知識、経験を持たなければならない。また、SEの者が営業を覚え、営業の者がSEの技術等を覚えることが理想であるが、短期間においては理想どおりにはいかないものである。しかしながら、控訴人は、徐々にこの理想に近づけるべく、営業担当者の教育と同時にSEの充実を図ってきたものである。

(二) 被控訴人渡辺の関係

高松営業所にSEを配属する必要性については、事実摘示三3(三)(2)のとおりであるが、なお、当時四国の高松営業所管内で、控訴人と大手建材メーカー二社、大手家具メーカー一社との取引のあったことが、その必要性を更に増大させていた点を付加する。

高松営業所SEに被控訴人渡辺を人選したのは次の理由による。すなわち、高松営業所にSEが必要な理由は、同地区において建材木工用塗料の需要が極めて大きいことから、建材木工用塗料の販売力を増強することにあった。したがって、その人選は、技術部の建材グループ、木工グループから行うことになったが、建材グループが稲熊係長以下五名の構成であったのに対し、木工グループは羽生田係長以下三名という構成であり、その上、木工グループからは、昭和五五年の配転で前記市場が広島のSEとして転出していた。さらに、当時営業部において、従来金属塗料部門と木工塗料部門とを同一の販売課が担当していたものを、木工塗料の需要が増加したために木工塗料部門を分離独立させた経緯もあり、木工グループの人員を削減することは困難であった。他方、建材グループには、係長の稲熊以下被控訴人渡辺、山田、滝、山北が所属していたが、稲熊は係長としてグループ全体のまとめ役であり、山田は従来塗料の基礎的研究に従事してきたため需要家、特約店との接触の経験が不足しており、滝は日本ハードボード工業という控訴人にとって最重要の需要家の担当者として同社から信頼を受けており、右の担当を変えることは適当でなく、山北は入社一年の新人であり、SEとしての職務を期待することができないというように、被控訴人渡辺以外の建材グループの者は、いずれも高松営業所SEとしては適当ではなかった。それに対して、被控訴人渡辺は、事実摘示三3(三)(2)のとおり、入社以来主として建材用塗料の研究開発に従事してきており、建材木工用塗料に関する技術的知識は豊富であり、さらに、需要家との接触も数多く経験していたため、SEとしては適任であった。

(三) 被控訴人細江の関係

名古屋営業所に車両塗料担当のSEを配属する必要性については、事実摘示三3(三)(3)のとおりであるが、なお、当時実際に車両用塗料担当のSEの仕事をしていたのは、名古屋営業所の杉村、大阪営業所の和田野の二名であり、以前これを行っていた太田、中尾の二名が退職してしまったため、右SEの絶対数が不足していたことがその必要性をさらに増大させていた点を付加する。

名古屋駐在のSEに被控訴人細江を人選したのは次の理由による。すなわち、名古屋駐在のSEは、車両用塗料担当のSEであるので、人選は技術部第一課車両グループからということになる。同グループは、当時係長の平野のほか被控訴人細江、松山、水野、藤井、山門、本田、鶴田の計八名という構成であった。右のうち係長の平野はグループ全体のまとめ役であり、松山は昭和五六年一一月に金属グループから配転されたばかりで車両用塗料に関する十分な知識がなく、水野は、車両用塗料の中でも下地塗料の担当で、控訴人においてはただ一人の専門家であり、藤井は昭和五四年入社、本田は昭和五六年入社でいずれもSEが勤まる程度の知識技術が不足しており、鶴田は、車両グループ唯一のベテラン係員で、平野係長と協力して山門、本田ら新人に対し指導的役割を担うことが期待されているというように、被控訴人細江以外の係員は、いずれも、右車両グループからの配転が困難であるか、車両用塗料SEとして不適合であった。それに対して、被控訴人細江は、入社以来主として車両用塗料の技術者として勤務してきており、同塗料に関する技術的知識は相当高度であり、同塗料SEとしての適性は十分にあった。

3 被控訴人佐藤

広島営業所の管轄地域は岡山、広島、山口、鳥取、島根の五県で、主に中国地方である。この地域においては、塗料の需要が全国比で昭和五五年度八・三パーセント、昭和五六年度八・七パーセント、昭和五七年度九・四パーセントと年々増加していた。他の地域の需要が低下傾向にある時、発展性の大きいこれらの地域こそ今後力を入れるべき地方であり、広島営業所は、名古屋、東京、大阪と並んで、特に営業関係を拡充する必要性のある地方であった。

右のとおり、広島営業所は重要な営業所であり、その営業所長としてふさわしい人材としては、当時の各営業所長がその候補者と考えられたので、これらの者の中からの配転を検討した。ところが、当時の各営業所長のうち、ほとんどは一年ないし三年前に昇格、着任した者であって、転任には時期尚早であり、その他の者も、本社の課長兼務であったり、定年間近で名古屋勤務を希望していて、広島営業所への配転はむずかしく、結局他の営業所長を広島営業所長に充てることは、本人にとっても、控訴人の営業上も大変不利になり、賢明な策ではないとの判断に達した。

それに対して、被控訴人佐藤は、入社後主として営業畑を歩んできており、営業マンとしての能力は十分にあり、さらに、総務課人事労務係長としての経験を加えて、営業所長として必要な管理能力を向上させていたので、広島営業所を任せるには最適な人材であった。

4 被控訴人恒川

大阪営業所には、当時、鈴木所長以下、和田野、増田、加藤、井出、松下、磯部の七名が属していた。その主な商品別分担は、車両担当が和田野、木工担当が増田、金属担当が加藤であり、井出は昭和五六年入社の新人(専門知識が不足)、松下と磯部は女子事務員であった。

大阪営業所における営業強化の必要性並びに被控訴人恒川の人選の理由については、次に補足するほか、事実摘示三3(三)(5)のとおりである。

大阪の車両用塗料の市場は、大手メーカーに加え、車両補修用塗料メーカーであるイサムペイント、ロックペイント、久保考ペイントの本社所在地がある関係で、全国的に見て激戦地であり、しかも、控訴人の市場占有率は極めて低かったため、控訴人としては、同地区の営業マンを増加して競争力を強化する必要性があった。

車両補修用塗料の需要先は、主として小さな板金塗装業者である。板金塗装業者には、交通事故等で傷ついた自動車がその修理のために入ってくる。板金塗装業者は、これらの自動車の塗色に合わせ、補修に必要な塗料を約五〇色の原色から作り出す(調色する)必要性がある。そこで、車両補修用塗料の営業マンは、板金塗装工場の塗装職人、塗料販売店の営業員等に、控訴人の原色塗料の使用方法を指導する必要があった(他の分野の塗料の調色は、塗料使用の現場では行っておらず、メーカーの工場やサービスステーションといった専門工場で行っている。)。

被控訴人恒川は、入社以来調色技術に携わってきており、大阪営業所の営業マンとして適任であった。

なお、前記のとおり、被控訴人恒川は、昭和五六年三月ごろ行われた配転の意向打診に対し、基本的には配転を了承していたものであり、さらに、大阪への配転に応じられないという個人的な理由として、あたかも両親の生活の面倒をみなければならないというような意味にも解釈できる表現を用いていたが、同被控訴人は、その後結婚して両親とも同居していない。したがって、両親の生活の面倒をみるために名古屋を離れられないなどという事情は、昭和五七年の本件配転当時からなかったと思われる。

5 被控訴人加藤

控訴人の製造部管理課発送班には、当時、田中宏、武辺、北村、村上、古河の五名が配属されていたが、発送業務が外部委託となるので、右五名の者をその適性を配慮して配転する必要があった。

他方、当時、三好工場内の製造部製造課第三製造係樹脂班に二名の欠員があったので、うち一名の補充につき、右発送班五名の中から武辺を選び配属した。また、北村は、フォークリフトの運転では控訴人にあって一番の腕前であり、同一の能力が最も発揮できる製造部管理課資材係に配転させることとなった。

さらに、樹脂班の残り一名の欠員補充につき、製造部各課全員を対象に人選を行った結果、右のとおり資材係に北村が配属される関係もあって、同係所属の被控訴人加藤が最も適任であるとの判断に達した。

三  不当労働行為の不存在

本件配転が不当労働行為とならない点については、事実摘示五1、2主張のとおりであるが、なお、以下の点を付加する。

1 基本的な考え方

そもそも、使用者が労働者に対して行う業務命令等の様々な行為は、個別の労働者にとっては必ずしも有利なもの、労働者の希望するものとなるとは限らない。これは会社という団体の性格上当然のことである。本件で問題となっている「配転」にしても、個別の労働者にとっては、配転もなく生涯同一の勤務場所で勤務し、かつ、昇進・昇格もしていくというのが理想であるかもしれないが、配転なくして会社という組織の活性化は望むべくもないところであり、いかなる会社においても、むしろ定期的に配転を実行して組織としての発展を志向している。

右のごとき状況においては、配転を受けない労働者はむしろ希有の事例であり、かえって、何らかの理由で配転を受けない労働者が存在するとすれば、それは、いわゆる逆の差別というべく、不合理であるとの評価を免れない。

本件配転は、前記のとおり、控訴人の営業上の必要性に基づき行われたものであり、被控訴人らのみを特に不利益に扱おうとしたものではなく、控訴人においていわゆる不当労働行為意思を有しなかったことは明らかであるが、仮に、かかる不当労働行為の意思が認定されることがあるとしても、控訴人の本件配転を含む人事政策に前記のごとき高度の業務上の必要性が存在したことは疑いがない。営利企業たる控訴人にとって、業績の向上は、最も重大な目標であり、かつ、それが控訴人の使命でもある。本件の配転についても、このような控訴人の本来的な目的、使命を全うすることこそが、決定的な動機になっているのであって、本件配転が不当労働行為と認定されるなどということは、控訴人にとっては思いもよらないことである。

2 本件配転前の経過について

被控訴人らの言によれば、昭和五二年ごろから、控訴人従業員らにおいて労働組合結成に向けて準備活動が進められ、翌五三年には地本に個人加盟し、非公然化組織としてN分会を結成したとのことであり、同組織が昭和五六年四月二一日、控訴人に対し労働組合公然化通告をしてきたものである。ところで、右N分会の活動は「非公然化組織」として行われていたとのことであるから当然のことでもあるが、控訴人は、右公然化通告の以前においては、右のような労働組合が結成されるということにつき全く知らず、右公然化通告に接して、急遽、同日ごろ予定していた昭和五六年春季配転の実施を取り止めたものである。このように、控訴人において、以前、春秋の年二回定期的に、控訴人組織の活性化と能率化を計るべく行ってきた人事異動の実施を取り止めることにしたのは、労働組合の公然化通告がされたばかりの時期に人事異動を行うと無用の誤解を生じさせるおそれもある等の事情を考慮したものであって、いわば業務の適正のための要請を犠牲にして行われた対応であった。

控訴人としては、同年四月二一日に、全く予測していない状態のところへナトコ労組が公然化通告をしてきたわけであるから、同組合に対する対応が違法、不当なものとならないように準備すべきことは多々あったし、当時発令を予定し、目前に迫っていた人事異動をどうするか、同組合との交渉等の事務担当者ないし窓口をだれとするかの問題から、具体的な事務手続上の細目的事項に至るまで、多くの事項につき検討して対応しなければならなかったわけであり、そのような事情に照らせば、右公然化通告から約二〇日後に団体交渉の場が持たれたということは、むしろ控訴人のナトコ労組に対する誠実な対応の証左にほかならない。

その後も、控訴人側では、ナトコ労組若しくはその組合員を不利益に取り扱ったり、これに中傷・誹謗を加えたりしたことはなく、本件配転に至るまで、適正・妥当な対応をしてきたものである。

3 本件配転について

本件配転においても、控訴人が被控訴人ら若しくはナトコ労組に対し不利益を課する意図でこれを行ったものでないことは、既に述べたとおりである。

ところで、本件配転は、前記のとおり、もともと控訴人においてその営業上の高度の必要性を感じ、かつ、その内容・手続もほとんど煮詰まっていた昭和五六年春季の配転計画の延長上にあるものである。しかして、前示のとおり、右昭和五六年春季の配転計画を策定していた時期には、ナトコ労組は未だ非公然の状態にあり、控訴人としては、その活動状況や構成員について知る由もなかったのであるから、右昭和五六年春季の配転において、控訴人が被控訴人らの組合活動を嫌悪するとか、それを理由として不利益に扱うなどということは、あり得なかったのである。ちなみに、右昭和五六年春季の配転対象者には、被控訴人佐藤、同渡辺、同細江、同恒川の四名も含まれていた。

なお、本件配転や昭和五六年秋季の配転においても、控訴人が、特にナトコ労組組合(ママ)だけを対象にしてこれを行ったものでないことはいうまでもなく、例えば、遠隔地への配転対象者にも、ナトコ労組組合員以外の者が含まれている。

4 組合員の範囲の問題について

被控訴人大矢、同佐藤の本件配転については、ナトコ労組組合員である同被控訴人らを控訴人の機密に関する部署から除く趣旨も含まれていたものであるが、かかる趣旨を含ませて右配転を行ったことも、以下のとおり、誠に正当というべきである。

すなわち、ナトコ労組の組合員の範囲の問題については、地労委における本件和解の席上、地労委委員から、労使双方で話し合って定めるよう指導を受けたので、控訴人は、その後、ナトコ労組との団体交渉の際、三回ほど右組合員の範囲の問題を取り上げようとしたが、ナトコ労組側は、これを組合において自主的に決定すべき事項であるとして、話し合いに応ずる様子がなかった。そこで、控訴人は、昭和五七年一月一六日、地労委に対し、右の問題につぎあっせんの申請をし、同年二月六日、地労委から左記のようなあっせん案が示された。

<1> 組合員の範囲は、次に掲げる者を除いた者とする。

(1) 課長以上の地位にある者

(2) 総務課の人事労務係長、経理係長及び電算係長

(3) 役員の秘書及び乗用車の運転手並びに守衛

(4) 営業所長については、実情に即して労使協議した者

<2> 労使双方は、次のことを尊重しなければならない。

(1) 現在の総務課の人事労務係長、経理係長及び電算係長の処遇については、労使協議する。

(2) 機構を改革する場合は、組合と事前に協議する。

右あっせん案は、控訴人としては不満があるものであったが、控訴人は、前記和解の席上における地労委委員の指導の趣旨を尊重し、右あっせん案の受入れにつき前向きに検討したが、ナトコ労組はこれを拒絶した。しかしながら、ナトコ労組が地労委のあっせん案を拒否し、控訴人の機密に関与する部署に引き続きその組合員を配属させておくことは、ナトコ労組にとっては利益があるかも知れないが、控訴人にとっては、本来放置できない問題であり、かかる事態が放置されることは、社会通念上極めて異常な事態であるといわざるを得ない。控訴人がかかる事態を打開するためナトコ労組の組合員をその部署から他の部署へ配転することは、誠にやむを得ないといわなければならない。控訴人がナトコ労組の組合員を引き続き控訴人の機密に関与する部署に留め置かなければならない受忍義務は全くない。

四  本件和解と本件配転の関係について

1 本件和解の経過、内容

事実摘示三3(一)(4)のとおり、昭和五六年秋季の配転に伴い、ナトコ労組側は、地労委に対し、不当労働行為救済の申立をした。そして、地労委から控訴人に対し、ナトコ労組が行った指名ストに対して賃金カットをしないようにとの説得がされたので、控訴人としてもこれに応じ、さらに、地労委の勧告により、控訴人、ナトコ労組双方の間で和解について話し合いが行われた。その結果、同年一一月二〇日、右事実摘示の項記載のとおり、控訴人において平野孝行ら六名についての配転命令を取り消し、ナトコ労組において他の配転対象者については控訴人の配転命令に応じ、また、一定の配転については、今後は控訴人とナトコ労組が協議することとし、さらに、組合員の範囲の問題についても、今後控訴人とナトコ労組とで十分協議して決するという内容で本件和解が成立したものである。

2 その後の双方の対応

控訴人は、右和解の趣旨に沿って、以後の配転や組合員の範囲の問題を処理しようと考え、前記のとおり、まず、団体交渉の中で、組合員の範囲の問題を取り上げようとしたが、ナトコ労組側は、右和解の趣旨に反し、話し合いに応じようとせず、不誠実な態度に終始した。

さらに、控訴人が本件配転に際し、ナトコ労組との協議を行おうとしたところ、ナトコ労組側は、これまた右和解の趣旨に反し、かたくなに被控訴人らの配転の全面的な白紙撤回を要求し、控訴人が誠実に右配転の必要性等につき繰り返し説明したにもかかわらず、その態度を変えなかったものである。

3 「協議」の意味について

前記のとおり、本件和解においては、一定の配転につき控訴人とナトコ労組が協議すべき旨が定められたが、右協議条項が、当該配転につきナトコ労組若しくは当該配転対象者の同意を要するとするいわゆる同意条項と異なることはいうまでもない。

しかして、右のとおり、控訴人は、本件和解の一内容たる「配転に関する協議」を誠実に行おうとしたものであり、これに対し、相手方たるナトコ労組が実質的な協議に全く応ずる意思を持たなかったのであるから、控訴人としては、それ以上「協議」に関し、何らなす術がなかったというべく、被控訴人らにおいて、本件和解の内容に反する態度があったとはいえても、控訴人が右和解の趣旨に反し、そこにおいて定められていた協議を尽くさなかったとは到底いえない。

以上のとおり、控訴人が本件和解で定められた協議の義務を尽くしていたのであるから、被控訴人らの配転は法律上なんら問題なく可能であり、適法であったというべきである。

4 「平和義務」について

本件和解の際、控訴人は、地労委委員から、今後も右和解で定めたルールに則って再度同様の配転を行うことは一向差し支えないとの説明を受けており、控訴人としては、前記協議条項等のルールに従えば、昭和五六年秋季と同内容の配転ができると考えていたものであり、そのような控訴人の期待は十分保護されるべきである。

被控訴人らに対する本件配転は、前記のとおり業務上の必要性が強いために、他の各種事情を勘案しても、その実施を避けられないとの判断のもとに行われたものである。日々変化する経済社会の中で存続していかねばならない控訴人にとって、労使間の和解で配転命令をいったん取り消したとの一事をもって、その配転対象者に対する人事異動の権限を放棄したことにならないのはもちろんのことであり、これによって、控訴人において、業務上の必要性が認められる場合に人事異動を発令する権限がことさらに制限されるものではないといわなければならない。したがって、前記のとおり業務上の必要性の認められる本件配転が、本件和解の際取り消された昭和五六年秋季配転と同内容であるからといって、それがいわゆる平和義務に反する違法なものになるとは到底解し難い。

五  その他

被控訴人佐藤につき、原職復帰の意思がないというべきことは事実摘示三2のとおりであるが、なお次の点を付加する。

同被控訴人は、喫茶店「マイカップ」の経営により多額の収入を得ていると推測されるが、さらに、同被控訴人は、昭和六三年一月、現住所の居宅建物(課税評価額ですら約一五三〇万円)を借金もせずに新築したほか、昭和六〇年七月と同六二年八月、代金額約一八〇万円と約一一五万円の新車を一台ずつ、これまた即時払で購入している。このような事実によっても、同被控訴人の生活状況は極めて裕福であることがうかがわれ、同被控訴人において原職復帰の意思を失っていることも十分うなづけるところである。

(控訴関係につき被控訴人らの付加した陳述)

控訴人の付加した陳述に対する被控訴人らの反論は、そのうち、本件配転における人選の合理性、必要性の点などにつき、以下のとおり補足的に主張するほか、事実摘示中の被控訴人らの主張のとおりである。

一  被控訴人大矢関係

控訴人は、前記三田村が嘱託という身分にあることを理由に、ナトコ商事の支配人にふさわしくないと主張するが、総務課経理係長ならばふさわしいというのか、また、同人を右支配人の補佐役とするのはなぜふさわしくないのか、全く説明がない。また、前記日置を何故ナトコ商事の支配人にしなければならないのかについても説明がない。そもそも、経理、総務、庶務をこなす技能・知識、業務用塗料の販売商品知識が不足しているという同人を支配人に選ぶ理由は全くないし、従前ナトコ商事の支配人には、内部昇格ではなく、外部からの転入人事が圧倒的に多かったにもかかわらず、何故今回に限って内部昇格にこだわったのかも理由がつかない。

控訴人は、昭和五六年秋季の人事異動において、被控訴人佐藤を総務課人事労務係長から排除すべく、同被控訴人に対し、広島営業所への配転を命じたが、併せて、これにより空席となる右人事労務係長に総務課経理係長の被控訴人大矢を充てるべく配転命令を発したのである。これは、当時ナトコ労組執行委員として活発に活動していた被控訴人佐藤を広島という遠隔地に隔離することを目的として行われたものであるが、被控訴人佐藤の後任に被控訴人大矢を充てたのは、控訴人において、同被控訴人が当時ナトコ労組の組合員であるものの、組合の役員などの中心的活動家であるとは見ていなかったためにとられた措置である。

控訴人は、被控訴人大矢に対し、右配転命令が撤回されてからわずか四か月後に、しかも、何らの事情の変更もなく(もし変化があるとしたら、控訴人が被控訴人大矢を組合活動家とみなした点のみである。)、今度は、ナトコ商事への転属を命じたわけである。本件転属命令が昭和五六年秋季の人事異動に対し、ナトコ労組への支配介入である旨異を唱えた同被控訴人に対する報復人事であり、したがって、控訴人が本件転属命令の必要性として述べる事実が虚構であることは明らかである。

二  被控訴人渡辺、同細江関係

1 SEの配置について

控訴人は、その作成に係る職制表につき、必ずしも実質が反映されていない部分があるなどと主張するが、仮にそうであるとすれば、SEにつきそのようなあいまいな位置付けがされていたこと自体、控訴人がいかにSEというものを軽視してきたかを示すものにほかならない。

控訴人は、昭和五四年一〇月、「とにかく売らなければだめだ。SEも廃止して営業マンに専念してもらう。」という方針のもとに、SE制度を廃止し、この廃止に伴って、太田を札幌の営業マンに、中尾を東京の営業マンに、和田野を大阪の営業マンに、杉村を名古屋の営業マンにそれぞれ配転したのである。もし、控訴人主張のごとくSEが必要であるならば、何故SEであった者をわざわざ営業マンにしたのか理解に苦しむ。

なお、現在、SEが市場、須賀のわずか二名であることからみても、SEの充実を図ってきたなどという控訴人の主張が偽りであることは明らかである。

2 被控訴人渡辺について

本件配転当時、高松にはスミリン合板工業株式会社という大手の取引先が一社あったのみであり、同社については、被控訴人渡辺の出張で十分対応できるものであった。控訴人は、大手建材メーカー二社、大手家具メーカー一社と取引があったと主張するが、全くの虚構である。

また、当時の技術部建材グループ所属各人の位置付け・評価についても、控訴人の主張には不当な点が多い。すなわち、控訴人は、稲熊が係長としてグループ全体のまとめ役であるから配転が困難である旨主張するが、少なくとも、まとめ役たる係長の地位にあるというだけで配転を控えるというような体質は、控訴人にはない。もし、控訴人の主張が正しいのであれば、いずれも本件配転当時係長であった被控訴人大矢、同佐藤を配転するわけがないのである。その他、山田については、当時林ベニヤ株式会社の担当であって、需要家・特約店との交渉の経験は十分あったこと、滝については、需要家たる日本ハードボード工業株式会社の担当であったというけれども、少なくとも、被控訴人渡辺が大建工業株式会社というユーザーの担当をしていたこととの比較衡量が当然必要であること、山北については、新入社員であったとしても、他にも入社後半年近くでSEになっている者もいることなどに照らし、いずれも控訴人が指摘する点のみでは、配転を控えるべき事情があることにはならない。さらに、かつては営業マンからSEに配転された例もあり、技術部の建材グループ内の者のみを人選の対象とすること自体も不自然である。

3 被控訴人細江について

控訴人は、車両用塗料担当のSEの必要性を強調するが、かかるSEについては、昭和五三年には五名であったのが、昭和五五年一一月には三名に減らされてきており、かつ、現在に至るまで、被控訴人細江の補充として、名古屋営業所に車両用塗料担当のSEを配属することは、全く行われてきていない。

また、本件配転当時の技術部車両グループ所属各人の位置付け・評価についても、控訴人の主張には不当な点が多い。すなわち、平野が係長たる地位にあることをもって配転を困難とすべき事情ということができないのは、前記2の稲熊の場合と同様である。その他、松山については、かつて車両の経験をしたことがあること、水野については、下地塗料の担当ではあっても、上塗りの技術も習得しており、かつ、下地塗料についていえば、ひとり水野のみならず、鶴田、平野も熟知しているところであること、藤井、山門、本田については、いずれも、当時既に入社後一年以上働いてきていたものであって、前記2の山北の場合と同様のことがいえること、鶴田については、少なくともベテランであるとの一事をもってSEにふさわしくないとすることは、かつて控訴人が、「被控訴人細江はベテランなのでSEにふさわしい」と主張していたこととも矛盾し、不当であることなどに照らし、いずれも控訴人が指摘する点のみでは、配転を控えるべき事情があることにはならない。さらに、技術部の車両グループ内の者のみを人選の対象とすること自体が不自然である点も、前記2の場合と同様である。

三  被控訴人佐藤関係

広島営業所は、所長一人、SE一人、女子事務員一人の構成であり、いわば、所長自らが売って歩く営業所であるとともに、売上高も、控訴人の売上の一割にも満たず、新潟営業所と共に、最低位に位置する弱小営業所である。また、SEは組織上、営業所長の指揮下にはなく、部下は女子事務員一人であって、名古屋営業所や東京営業所のように、営業マンの部下が何名かおり、自らは担当販売店を持たず、主に、営業マンの管理を行う営業所の所長とは業務内容が異なる。すなわち、広島営業所所長の場合、管理能力は二の次であり、営業マンとしての能力が主に求められる。しかも、広島営業所の場合は、担当地域も広範(中国地域全般)であり、公共交通機関の整備も十分されていない。いきおい、移動は自動車で行うことになり、したがって、行動力のある若手営業マンこそが広島営業所所長としては最適任なのである。実際、従来広島営業所には、入社後、四、五年を経過した若さと行動力のある営業部員が充てられてきたものである。その意味で、控訴人主張のごとく、営業所長の中から人選をするということ自体が全く当を得ていないというべきである。

被控訴人佐藤は、昭和五六年春季の人事異動の際、当時上司であった山崎総務課長から、名古屋営業所所長への配転の内示を受けた。それがわずか半年後に、遠隔地の広島営業所所長への配転に変わったのは、昭和五六年四月ナトコ労組が公然化したのを契機に、控訴人が被控訴人佐藤を組合活動家とみなし、同被控訴人に対し、組合活動上、生活上の不利益を強いるとともに、被控訴人大矢と同様、組合員の範囲の問題に関し、控訴人の主張を配転という形で実現しようとしたためであるとしか考えられない。

四  被控訴人恒川関係

本件配転当時、製造部製造課第三製造係調色班には、一〇名ほどの人員がいたが、被控訴人恒川より調色歴が長いか同等の者は三名(浅山、小林、福井)いた。しかも、当時被控訴人恒川は建材調色という特殊な業務を担当していたが、被控訴人恒川以外の三名は一般調色(車両用を含む)を担当していた。したがって、車両担当の営業マンということであれば、被控訴人恒川以外の右三名の者がより適任というべきである。すなわち、被控訴人恒川が行っていた建材調色は、五種類位の限定された原色を使用するだけであるが、車両用調色では、約五〇種類にも及ぶ特性の異なる原色から、必要な色を見本の特徴に合わせて選び出す必要がある上、メタリック塗装という建材調色では必要とされない技術も多用しなければならない。これは、日常の経験の中からのみ習得され得るもので、こうした点からは、被控訴人恒川の調色技術は、車両用にはほとんど役に立たないものである。

また、営業マンとして調色技術を持つことは必要不可欠なものではなく、「知っていれば便利」という程度のものである。事実、大阪で唯一の車両担当営業マンとされている前記和田野についても、調色経験はないし、過去に何人かが前記調色班から営業担当へ配転されているものの、ほとんどの人が会社を退職しており、現在残っているのは福井(それも営業から製造部へ再配転され、現在第二調色班長)ただ一人である。

さらに、控訴人は、大阪での車両用塗料の販売を伸ばすために特に同地区では調色技術を持った営業マンが必要だった旨主張するけれども、被控訴人恒川を解雇して以降、前記調色班から大阪営業所の営業マンに配転された者は一人もいなかったし、被控訴人恒川を解雇して間もなく、大阪で唯一の車両担当営業マンであった和田野が退職し、一層危機的な状況になったはずであるにもかかわらず、その補充としては、翌年に、事実摘示四2(二)(5)のとおり、その年の新入社員一名を営業マンとして配属しただけにとどまった。こうした事実からすれば、大阪営業所で特に調色技術を持った営業マンが必要とされていたとも到底いうことができない。

なお、控訴人は、昭和五六年春季の人事異動の際の意向打診に対し、あたかも被控訴人恒川が大阪への配転を基本的に了承したかのごとく主張するが、こうした事実は全く存在しない。かかる控訴人の主張は、被控訴人恒川において、同季の配転内示当時、ナトコ労組が非公然である関係で、組合活動上の理由をもって配転に反対できなかったため、配転に応じられない理由の一つとして、祖父の入院している事情を説明したことを悪用して作出された虚構である。被控訴人恒川は、本件解雇後結婚し、従前居住していた市営住宅ではとても両親、弟と同居はできないという事情のため、家族と別居した。また、その後長男の誕生などもあり、現在両親に対し援助を施す余裕はない。しかし、両親のいずれかが倒れるような事態になれば、長男である被控訴人恒川に大きな負担がかかってくるのは必然であり、こうした事情は昭和五六年当時から変わっていない。

付言するに、昭和五六年春季には、製造課から三名(被控訴人恒川、井浪、岡本)が営業担当への配転を内示されていたが、右三名はこの配転に強く反対し、岡本は退職まで決意した。その結果、ナトコ労組公然化前に、控訴人から猪岡製造部長(当時)を通じて、「今回の配転は取りやめる」旨の正式の通知が個々にされたのである。しかして、同年秋季の配転では、右三名のうち、ナトコ労組の書記長であり、製造部の組合活動の中心でもあった被控訴人恒川のみが配転の対象となったものであり、かかる同年秋季の配転の狙いが組合攻撃にあることは明らかである。このように、同年春季の配転と同年秋季の配転とでは、控訴人の狙いは全く異なるのであって、控訴人主張のごとく、単純に右春季配転の延長として、右秋季配転、更に、本件配転が位置付けられるものではない(この点は、他の被控訴人らの関係でも同様である。)。

五  被控訴人加藤関係

控訴人は、同会社にあっては、フォークリフトの腕前は、北村が一番である旨主張するが、フォークリフトの運転は、北村の外に被控訴人加藤、田中、武辺、吉田、中山など数人が担当しているものであり、その中で北村が一番の腕前であるという客観的事情は一切存しない。控訴人は、単に北村が「樹脂には行きたくない、資材に行きたい。」という希望を出したのに対して、無条件でこれに応じたというに過ぎない。さらに、右北村が第二組合の執行委員であったことも、控訴人の不当労働行為意思を推し量る上で重要である。

(附帯控訴関係の陳述)

一  被控訴人ら

原判決A二四枚目表七行目の次に、行を改めて次のとおり加え、同八行目の「(一九)」を「(二七)」に改める。

「(一九) 被控訴人恒川は、昭和六二年一一月二八日に結婚しており、控訴人の給与規定第二九条に基づく五万円の結婚祝金の支給を得ることができ、また、同年一二月から家族手当(昭和六二年度の配偶者手当は毎月七〇〇〇円)の支給を得ることができる。

(二〇) 控訴人においては、昭和六三年四月分から、昭和六三年四月二五日付回報に基づき、控訴人従業員の賃金の引上げ等を実施し、基本給を五・一三五パーセント、配偶者の家族手当を一〇〇〇円引き上げた。したがって、被控訴人らの受けるべき基本給は左記(略)のとおりとなる(円未満切捨。以下同じ。)。

第三証拠関係(略)

理由

一  当裁判所も、控訴人の被控訴人らに対する本件配転はいずれも不当労働行為に当たるから無効であり、被控訴人らは、いずれも原判決別紙本件配置転換目録記載の各配置転換先において勤務する義務はなく、また、控訴人に対し、民法五三六条二項に則り、従業員として支払を受けるべき賃金その他の請求権を取得しているものと判断する。その理由は、次に訂正、付加するほか、原判決理由一ないし六項説示のとおりであるから、これを引用する。

1  原判決理由(丁数にBの表示がある。ただし、四一丁を欠くが、同丁以外の「枚目」表記については、便宜上原判決の丁数表示に従う。)一枚目裏八行目の「審問調書)、」)の後に「第五九号証(梶浦明の審問調書)、」を加え、同二枚目表五行目の「、第五九号証」及び六行目の「及び乙第五九号証」)をいずれも削り、同七行目の「証人粕谷忠晴、同梶浦明の各証言」)を「原審証人粕谷忠晴の証言、同人の当審における控訴人代表者としての尋問の結果、原審及び当審証人梶浦明の証言」に同八行目の「原告」を「原審及び当審における被控訴人」)にそれぞれ改め、同九行目の「本人尋問の結果」)の後に「及びこれと弁論の全趣旨」を、同一〇行目の「二三号証」の後に「(第一五、第一六号証、第二三号証については原本の存在とも)」を、同枚目裏二行目の「証言」の後に「と弁論の全趣旨」を、同三行目の「第一四号証」の後に「と弁論の全趣旨」を、同四行目の「本人尋問」の後に「(原審及び当審)」をそれぞれ加え、同六行目の「各証言」を「原審及び当審における各証言ないし代表者尋問の結果」に改める。

2  同二枚目裏九行目の「現代表者の」を「本件配転当時代表者であった」に改め、同三枚目表二行目の「移転)、」の後に「大阪営業所、」を、同六行目の冒頭に「三好」をそれぞれ加え、同四枚目裏五行目の「翌五三年には」を「同年から翌五三年にかけて」に改め、同五枚目裏五行目の冒頭に「営業部門(営業部門内の異動を含む)の」を加え、同六枚目表二行目の「平野、同」を削り、同枚目裏一行目の「りか」の後に「原審においては、」を加え、同行目の「ままである」を「ままであった」に、同七枚目表二行目の「同月」を「同年四月」に、同九枚目表一〇行目の「八名」を「九名」にそれぞれ改め、同一〇枚目表一、二行目の「一七名」の後に「(うち一名は同季の配転実施後に組合加入)」を加え、同一八枚目表四、五行目の「昭和五七年に至り、」を削り、同末行の「供述」の後に「その他関係証拠」を加える。

3  同二一枚目表八、九行目の「本人尋問の結果」の後に「と弁論の全趣旨」を、同一〇行目の「四九号証」の後に「(前掲)」を、同末行の「各証言」の後に「と弁論の全趣旨」をそれぞれ加え、同枚目裏一、二行目の「第一二三号証」を「第二六号証」に改め、同三行目の「第七二号証」の後に「と弁論の全趣旨」を加え、同二二枚目裏四行目の「一〇回」を「九回」に、同二四枚目表二行目の「六名」を「八名」に、同三行目の「五名」を「三名」に、同二五枚目裏二行目の「資材課」を「資材課。後に組織変更により管理課資材係になる。」にそれぞれ改め、同二六枚目裏五行目の「原告にとって」の後に「著しく」を、同二八枚目表一〇行目の「供述」」の後に「その他関係証拠」をそれぞれ加え、同二九枚目裏一〇行目の「左右するとか、」から三〇枚目表一行目の「考えられないから、」までを次のとおり改める。

「左右するものでないのはもちろんのこと、本件が控訴人において、例外的に前述のような和解に伴う平和義務の制約を受けない場合であったとは解されず、少なくとも、控訴人主張のごとく、本件和解条項に定める配転の手続さえ踏めば、他は無条件で再度同様の配転を命ずることができるものであったとは、到底いうことができない。その反面として、」

4  同三〇枚目表三行目の次に、行を改めて次のとおり加える。

「ちなみに、前述した平和義務の性質から明らかなとおり、本件のような再度の配転に即していえば、いわゆる使用者側がこれによる制約を受けることは避けられないものというべきであり、かかる使用者たる控訴人には、和解の事実のない場合に比し、同様の配転を実施するにつきより高度の必要性、相当性が要求されるといわざるを得ない。しかして、本件配転は、そもそも後記のとおり、仮に和解の存在を捨象しても、その実質的な内容において、著しく不相当なものであることを否定し難く、いわば、和解による平和義務の問題を論ずるまでもなく、不当な配転であるともいうことができる。そして、右平和義務による制約に照らし、右配転の不当性が一層甚だしいものになっていると理解するのが相当である。」

5  同三一枚目裏二行目の「必要性の有無、程度」の後に「や被控訴人側の対応いかん」を加え、同三二枚目裏三行目の次に、行を改めて次のとおり加える。

「なお、控訴人の主張中には、組合との協議が尽くされていれば、当然に本件配転が適法となるとするがごとき部分があるので、念のため付言するに、協議というものの性質上、それが十分実を上げるためには、一定の場面において労使双方の理解・協力が必要であることは否定し得ないけれども、かかる理解・協力を求められるか否かについては、結局使用者側の提示する配転の内容や従前の経過いかんにかかるところが大きいものといわざるを得ないのが一般である。したがって、本件配転をめぐる労使双方の折衝やこれと本件和解との関連を考察する上においても、前述のごとく、本件配転の内容や従前の経過や捨象して論ずることはできないというべきである。」

6  同三二枚目裏九行目の「影響」の後に「、被控訴人らの受けるべき生活上の不利益」を加え、同三四枚目表五行目の「、二」を削り、同七、八行目の「これ」の後に「と弁論の全趣旨」を加え、同一〇行目から末行の「粕谷忠晴の供述により真正に成立したものと認められる乙」を削り、同三五枚目表四行目の「被告は」の後に「昭和五五年一一月から」を加え、同枚目裏四行目の「前記二の3に」を「前記二の3及び後記」に改め、「判示のとおり、」の後に「控訴人における」を加え、同行目の「人事異動」から五行目の「これと」までを「人事異動計画検討の内容から、」に、同六行目の「必要性との関連性の検討が」を「必要性を導き出すのは」にそれぞれ改め、同三六枚目裏7行目の次に、行を改めて次のとおり加える。

「控訴人は、前記のとおり、当審で付加した陳述中において、右昭和五六年春季の配転の概要がナトコ労組の公然化通告前既に煮詰まっていた旨を、具体的な経過に触れ、るる強調し、当審における粕谷忠晴の供述もこれに副うものである。しかしながら、その主張・供述内容自体、幹部会の席上での具体的なやりとりに触れるものであり、それが全体として、営業強化の方針の具体化に関する検討を内容とするものであったことはうかがわれるとしても、その中心は、営業部員数の全体的な増加とその担当の明確化という点にあったものであり、個々の具体的な配転についての検討にまで及んだものではなく、併せて、右のような中心的な課題については、右粕谷忠晴の供述等によっても、昭和五六年秋季配転や本件配転に際し徹底した実現が図られたものとは認め難いことや右のような主張・供述が当審において初めて詳細に行われた経緯も参酌すれば、少なくとも、右のごとく控訴人の強調する点は、被控訴人らに対する本件配転の合理性・必要性を直接導き出す有力な根拠ないし背景事情になるものとは解し難い。」

7  同三七枚目表六、七行目の「しかも」から一〇行目の「できない。」までを削り、同三九枚目裏六行目の「被告は」の後に「、本件配転が事実上実施できず、かつ、後記でも一部指摘するとおり、これに対する特別の補充人事が行われたとは認められないにもかかわらず、」を加え、同九行目の「わけであるし」を次のとおり改める。

「わけであり、経営政策の当否が右のような事後的な経営状況の推移のみにより判断されるべきものではなく、経営者がある程度不確定な将来の予測の下でその政策判断を迫られるという要素は否定できないとしても、以上認定の事実に照らすと、控訴人の経営状態に一時的な停滞があったにせよ、それが被控訴人らやナトコ労組に前記のような著しい不利益・支障の生ずることを甘受させてまで打開を図らなければならないほど深刻なものであったとは到底認め難い(もっとも、一般に、深刻な経営危機に直面すれば、右のような不利益・支障を生ずる配転が直ちに正当化されるとする趣旨ではない。)のであって、」

8  同四〇枚目表一行目の「見ての」を「見て一応右の程度、内容の」に改め、同二行目の「客観的にも」の後に「配転を正当化するに足りる」を加え、同枚目裏二、三行目の「首肯し難い。」の後に次のとおり加える。「この点につき、控訴人は、ナトコ商事の売上げが伸びれば、控訴人としての売上げも伸びる結果となる旨主張し、当審証人梶浦明もこれに副う供述をするが、少なくともかかる一般的な理由によって、右のような支配人補佐の新設を裏付ける高度の営業上の必要性を肯定することは到底できない。また、」

9  同四〇枚目裏八行目の「窺われるのであって、」から一〇行目の末尾までを次のとおり改める。

「窺われる。この点は、被控訴人大矢の補充人事も含め、その前後を通じ現在に至るまで、支配人補佐なるポストにつかせた者のないこと、特に昭和五六年春季、秋季の各配転計画においてすら、かかるポストの新設は全く念頭に置かれていなかったこと(梶浦明の供述と弁論の全趣旨により認められる。)によっても明らかである。したがって、被控訴人大矢に関する配転は、同被控訴人が支配人補佐に適任かどうかの問題に立ち入るまでもなく、いわば不合理なポストの新設に伴う配転である点において既に明らかに不当なものであったといわなければならない。」

10  同四二枚目裏一行目の「第二〇六号証」の後に「(成立に争いがない。)」を、同四三枚目表三行目の「構成人員も」の後に「、控訴人提出に係る職制表に従えば、」をそれぞれ加え、同九行目の「考えられないこと、」から同枚目裏三行目の末尾までを次のとおり改める。

「考えられない。控訴人は、右SE数に増減があった経過等につき、実質的にはSEの強化という方針で一貫してきた旨主張し、当審証人梶浦明の供述等には、これに副う部分もあるけれども、その主張・供述内容によっても、常に一定数のSEの確保がされてこなかったことやその位置付けが必ずしも明確なものでなかったことは否定し難いところであって、かかる主張・供述自体、たやすく採用し難いものといわなければならない。

かかる実情を踏まえて、更に右被控訴人両名の配転の合理性についてみるに、まず、被控訴人渡辺に関しては、(証拠略)、梶浦明の供述と弁論の全趣旨によれば、高松営業所にSEが配属されたことは、現在に至るまで一度もなく、わずかに、昭和五〇年から五三年にかけて、徳島駐在員として勤務していた下村重由がSE的な側面を有していたにとどまるものであることが認められる。また、控訴人主張のごとく、SEの常設を必須のものとすべき複数の大手メーカーの存在も証拠上直ちに認め難いところであり、その他各営業所中における高松営業所の規模等も勘案すれば、そもそも、同営業所のSEのポストを新設すること自体、たやすくその合理性を肯定し難く、被控訴人渡辺が右SEとして適任かどうかの問題に立ち入るまでもなく、同被控訴人に対する配転は不当なものであったというべきである。

また、被控訴人細江に関しては、名古屋営業所に車両担当SEのポストを維持すること自体の必要性は、梶浦明の供述等によりうかがわれないではないにしても、その後現在に至るまでのSEの配置状況(本件配転前からおおむね一名で、昭和五九年から同六一年まで二名の時期があったが、現在は配置がない。このことは<証拠略>により認められる。)などにかんがみれば、本件配転時に右SEを一名増員することが控訴人の経営上必須の要請であったとまではたやすく認め難く、したがって、被控訴人細江の本件配転につき、高度の必要性を認めることはできない。また、その他控訴人の主張によっても、本件配転当時被控訴人細江を是非とも技術部からはずし、SEに配属しなければならなかった積極的な理由までは見いだし難い。なお、一般には、配転に関し、常に右のような積極的な理由付けまで要求されるわけではないにしても、本件においては、他の要素との兼ね合いで、右のような事情の有無は、当然最終的な配転の当否の判断に影響がある事柄というべきである。」

11  同四四枚目裏三、四行目の「あるのかといった疑問も生じる」を「あるのかといった点については、現に、前記国立も、その後任の水谷卓司も、共に三〇歳前後の年齢で、営業マンから広島営業所所長に配属されていること<証拠略>)にかんがみると、なおさら多大の疑問を生ずる」に、同四五枚目表七、八行目の「期待したことは首肯することができる。」を「考えたとしても、これを一概に独善的な見方ということはできない。」にそれぞれ改め、同枚目裏一行目の「明らかであるのみならず、」から九行目の末尾までを次のとおり改める。

「明らかである。控訴人は、同被控訴人が昭和五六年春季配転の際の意向打診に対し、病身の親族のいることを理由にこれを断った経緯を踏まえ、同被控訴人が基本的には、大阪への配転に応ずる意思を有していたと主張するが、一般に、配転の打診を断る方便として、いくつか考えられる理由の一つを示していわばえん曲に配転を拒否することは十分あり得るところであり、その他、同被控訴人のその後の言動等にかんがみても、右のような控訴人の見解は、結局当を得たものではないといわなければならない。

また、控訴人は、当審において、ある程度当時の大阪営業所の配置人員、担当業務等につき主張・立証(証人梶浦明の証言等)するに至ったが、これによっても、何故大阪営業所が建材関係の調色技能を有する者を、主として車両用塗料関係を担当する営業マンとして必要としたのかの点を納得させるに足りる事情が明らかになったものとはたやすく認め難く(ちなみに、梶浦明の供述等によるも、本件配転後大阪営業所に調色技能を有する者が配属された形跡はない。)、ほぼ前記被控訴人細江の場合と同様、被控訴人恒川の配転につき、是非とも同被控訴人を調色班からはずして、大阪営業所の営業マンとして配属しなければならなかった積極的な理由を見いだすことはできない。」

12  動(ママ)四六枚目表九行目の「被告は、」から一〇行目の「のみであって、」までを削り、同枚目裏四行目の次に、行を改めて次のとおり加える。「控訴人は、当審において、被控訴人加藤の配転が発送班に所属していた北村を資材係に配置換えするのに伴ういわゆる玉突き人事であったことは認め、北村を右のとおり配置換えした理由として、同人のフォークリフト運転の腕前が一番である点を挙げるが、かかる事実を裏付けるに足りる客観的な根拠はない上、そもそも、当審において初めて主張されるに至ったこの程度の理由でもって、被控訴人加藤をあえて資材係からはずすべき高度の必要性が生じたものと解することは到底できない。」

13  同四六枚目裏一〇行目の次に、行を改めて次のとおり加える。

「なお、前記の各判示からもうかがわれるように、本件配転の合理性、必要性に限ってみれば、そもそも、配転ポストの新設・維持自体、ないしは、当該被控訴人をそのポストにつかせること自体に著しい疑問が存するもの(前者として被控訴人大矢、同渡辺、後者として、被控訴人佐藤、同加藤)と、営業上の他の条件との兼ね合いで、一般的には、かかる配転が全く考えられないではないもの(被控訴人細江、同恒川)とが認められる。

しかしながら、右被控訴人細江、同恒川の本件配転に関しても、その営業上の必要性につき、積極的な理由付けまではたやすく認め難いことは、前示のとおりであり、他方、前示のとおり、右被控訴人両名は、共に、ナトコ労組における中心的な活動家であったというべきこと、また、いずれもその配転が本件和解により取り消された者であること、控訴人において、ナトコ労組との団体交渉の際などに、本件配転の一部取消等中間的な解決策を提示したことはなく、かかる解決策を検討する用意があった様子もうかがわれないこと、また、ナトコ労組における組合活動への支障という観点からしても、個々の配転による影響のみならず、当然ながら、本件各配転全体を通じての影響、すなわち、本件のごとく、主要な組合員多数が一挙に活動上の支障を生ずる点も十分考慮せざるを得ないことなどを総合勘案すれば、結局、本件各配転は、右被控訴人細江、同恒川に対するものを含め、いずれも、たやすくその不当労働行為たる側面を否定することができないものといわなければならない。」

14  同四七枚目表八行目の次に、行を改めて次のとおり加える。

「控訴人は、本件配転が不当労働行為に当たらない理由の一つとして、本件配転がナトコ労組の公然化前にほぼ固まっていた昭和五六年春季配転計画の延長にあるものであり、右昭和五六年春季配転の対象者には、被控訴人佐藤、同渡辺、同細江、同恒川が含まれていたなどと主張する。しかしながら、仮に控訴人主張のごとく、組合公然化一定の配転計画が存したとしても、組合公然化に伴い、控訴人がナトコ労組の活動状況を認識した後は、控訴人において同様の配転計画を実施するに際しても、組合に対する影響等に新たな配慮を加えるべきであったことはいうまでもない。また、右主張が一応正当といい得るためには、本件配転と右昭和五六年春季の配転計画の内容が個々的にもほぼ等しいものであり、かつ、それ自体に業務上の必要性が十分肯定されることがその前提要件になるというべきであるが、前者の点については、わずかに、被控訴人恒川について昭和五六年春季配転の際にも、同様の配転の意向打診がされたと認められる(被控訴人恒川の供述)にとどまり、その他の被控訴人らについては、本件前証拠によるも、昭和五六年春季において本件配転と同様の配転計画があったものとは認めることができない。かえって、被控訴人佐藤に関しては、いずれも配転計画の対象に加えられたとはいえ、昭和五六年春季配転の際には、名古屋営業所所長への配転の内示ないし意向打診があったのに、本件配転では、前示のとおり名古屋営業所とは質的に異なる広島営業所所長への配転が命じられた<証拠略>ことからして、不当な方向に配転の内容が変更されたものといわざるを得ない。また、後者の点については、本件配転がいずれも、その程度の差こそあれ、業務上の必要性を積極的に認め難いものであることは既に個々的に検討したとおりである。したがって、いずれの観点からしても、控訴人の主張は、到底前記結論を覆すには足りないものというべきである。」

15  同四七枚目裏末行の「これ」の後に「と弁論の前趣旨」を、同行から四八枚目表一行目の「二三一号証」の後に「、第二五八号証」をそれぞれ加え、同二行目の「六五〇万円」を「二五〇万円」に、同三行目の「二五〇万円」を「六五〇万円」にそれぞれ改め、同四行目の「以来」の後に「平成元年八月まで」を加え、同行目の「続けてきており」を「続けてきたものであり」に、同七行目の「現在まで」を「右廃業時まで」に、同末行の「不良で将来好転する兆しもないこと」を「良好とはいい難いものであったこと」に、同枚目裏一行目の「生じさせている」を「生じた」にそれぞれ改め、同二行目の「同原告は」の後に「、右喫茶店営業時においても、」を加え、同四行目の「持っていること」を「持っていたこと」に改め、同四九枚目表七行目の次に、行を改めて次のとおり加える。

「なお、控訴人は、当審で付加した陳述の中で、被控訴人佐藤の生活ぶりが裕福である点を指摘するところ、成立に争いのない(証拠略)によれば、その指摘に係る客観的事実(居宅の新築や自動車の購入)の存在することが認められるけれども、(証拠略)も参酌すれば、かかる事実の存在をもって、前示の認定・判断を覆すには足りないものというべきである。」

二  被控訴人らの主張に係る未払賃金等の額は、当審における請求拡張分を含め、すべて認めることができる。その理由は、次に訂正、付加するほか、原判決理由七項記載のとおりであるから、これを引用する。

1  原判決理由四九枚目表一〇行目の「家族構成」の後に「(ただし、被控訴人恒川の関係を除く。)を加え、同末行の「原告」を「被控訴人ら」に改め、同枚目裏一、二行目の「協定」の後に「(ただし、昭和六三年及び平成元年の春季賃上げについては、控訴人の回報による。)」を、同四行目の末尾に「また、被控訴人恒川関係の請求原因3(一九)及び同(二三)の事実については、成立に争いのない甲第二六六号証、第二七六号証と弁論の全趣旨により、これを認めることができる。」をそれぞれ加え、同五〇枚目表三、四行目の「ABC三段階」を「三段階(平成元年は五段階)」に改め、同四行目の「のC」を削り、同五、六行目の「1ないし5段階」を「五段階」に改め、同六行目の「の5」を削り、同枚目裏二行目の「B及び3」を「三段階の場合には第二ランク、五段階の場合には第三ランク」に改め、同行目の次に、行を改めて次のとおり加える。「ちなみに、控訴人は、昭和六三年以降の被控訴人らの賃金については、これを認めるべきものとしても、その額は、新たな賃金体系(以下「新賃金体系」という。)により算出すべきものと主張するようにも受け取れる。しかしながら、右新賃金体系が被控訴人らの加入するナトコ労組との協定に基づいて導入されたと認めるべき証拠はない。また、かかる新賃金体系の導入が、これにより不利益を被るべきこととなる個々の従業員の意思にかかわらず、当然に効力を生ずべきほどの高度の必要性・合理性を有するか否かの点についても、本件全証拠によるも、にわかにこれを肯定することができない。したがって、右昭和六三年以降の被控訴人らの賃金(基本給額)についても、被控訴人らの主張のとおり、従前の賃金体系によるところの賃金の額に、当該年度の平均賃上げ率を乗じた金額をもって新たな賃金の増額分とする扱いをとらざるを得ないものというべきである。」

2  同五〇枚目裏五行目の「3及びB」を「とおり」に、同六行目の「昭和六二年」を「平成元年」に改め、同末行の「別紙」の後に「(当判決分)」を加える。

三  以上によれば、被控訴人らの本訴請求は、当審における金員請求に関する請求拡張分を含め、すべて理由があるから認容すべきものである。

よって、本件各附帯控訴に基づき、原判決主文二項を主文第二項のとおり変更し、本件控訴は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九五条、八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 浅香恒久 裁判官窪田季夫、同畑中英明は、転補につき署名押印することができない。裁判長裁判官 浅香恒久)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例